熱中老人ボケばなし
2009 / 11 / 14 ( Sat )
最近、「熱中時間」や「平成なんでも鑑定団」などのTV番組が面白い。昔から鉄道ファンらがいいて時刻表などを熱心に眺めてニヤニヤしているのがいた。最近では、こうした連中は「鉄チャン」と呼ばれ、しかも専門分野にわかれ切符収集や全線走破?など専門分野にそれぞれプロがいるらしい。 「鑑定団」のコレクター連中も相当なものである。
人それぞれ何をやろうが大きなお世話だが人事ながら金と暇がかかるし大変だと思う。千葉県の高校教師で「筆子塚」の研究をして立派な著書を出した人がいる。調査に出かける朝など家族一同がバイクででかける夫(あるいは父)のうしろ姿に手を振って見送ったそうである。と著書に書いてあった。
これを読んで第一にこの人はまだ本物ではないと直感した。蘭学者・洋学者の事蹟調査を続けてきた者にとってたかい買い物についた書物となった。家族に嫌われ出発の朝にはシオを撒かれるようにならなければ!頑張ってください!「この子捨てざればわが身飢ゆ。」と昔の人は勉強したものと聞く。
それにしても、石仏・力石を訊ね歩いたりし、幸わせな老後を送ってい登場人物を拝見しながらおいしい煎茶と甘いものをいただきながらイキをひそめて生きながらている小生など世の中には偉い人がいるものだと感心する。かって、自分も日本中の外人墓地や蘭学者の墓を求めて家庭を顧みることなく家じゅう火のクルマで絶えず争いごとがたえなかった拙宅事情を顧みるに反省しきりである。
道楽者が無断で持ちだした店の金の重さを感じたときが道楽のおしまいだときいたことがある。熱中
老人がアタマを冷やすときが最後のときでは遅すぎるのだ。
日高誠実のこと
2009 / 08 / 14 ( Fri )
8月12日昨年暮れに歿くなった長兄の初盆に帰郷した。本来13日からお盆だが新しい仏さまは一日早く帰って来るそうで16日まで滞在すのは古い人たちとう同様。住職の話だと途中で買いものに出かける?そうでシオムスビを毎日供養するようにとの話であった。
小学6年から村を離れてので村の風習などほとんど知らない上に学校は東京のミッションスクールを卒業、しかも生来のアマのジャクで毎年お盆や正月のしきたりでは頑固な親たちと衝突した。来年、喜寿を迎えようとするこの年齢になってほとんど無知な郷土の歴史でただただ恥入るばかりである。
隣りの幼ななじみが骨董ずきだと聞き古書店の目録を数冊届けた。部屋いっぱいの骨董類のなかで日高誠実の書が一幅かかっていた。誠実は日向高鍋藩士から維新後明治政府に仕えた漢学者で
晩年は千葉県養老川の上流に閑居、梅樹を植え自ら梅瀬と号した。
書をよくし近隣の有志たちに頒布し生活のかてとしたと伝えられる。生家にも床の間にたたみ一畳くらいの軸がかかっていたのではやくから梅瀬誠実の名と「流芳」という大きなニ字は頭にしみこんでいた。誠実の名に再会したのは福岡教育大学の平田宗史博士にお近づきを願ったのちのことである。
わが国の師範学校の創始者アメリカ人スコットの研究を通じてのことであった。先生は旧高鍋藩の出身で誠実の子で教育学者日高眞実の研究で誠実を調査していたのであった。養老川や千葉県立図書館にも出かけたそうである。
旧跡地最寄駅には巨大な記念碑が建立されているそうである。(未見)人との出会いには不思議な
糸で結ばれているようである。先生が歿くなられてから二年が過ぎた。ときどき先生の温顔が想い出される昨今である。
ニーダムを買う
2009 / 06 / 15 ( Mon )
神田でニーダムの著書3冊を買った。いつも行く小宮山のガレージせールを覗いていたらNeedham
「Science nad civilization in China」(台湾の海賊版か)の1巻と2巻それと 「Clerks and Craftmen in china and the West」(Cambridge Univ.Press」の3冊がいずれもパラフィンを被った新本同様で500円也!この頃日本はどうかしている。こともあろうにこの世界的名著が道路端でたたき売りとは!ブックオッフでもときどき堀出しものがあり、この間も井上靖の「西域小説集」の特装本おwやはり新本で手に入れたが買えばいいというものでもないだろうと思う。
今回ニーダムの大著は一体何冊出版されているのか判らないが翻訳で数冊かっての職場の書庫にあった。テンプルの図説もその一冊だと思いこんでいたので世話はない。「来日西洋人名事典」に続き「来韓」「来華」人名事典の編纂中に多少目を通しただけでうんざりしたものだ。英語自体はそんんさ難しいとは思わないがあのvoluminous はどうだ!時間が足りない!目がかすむ!
当分、テンプル先生の図説を読むこととしようか。翻訳で430ページあるが。
わが国でも塙保己一や高見物集らの諸先生がいて思いもつかぬ大きな仕事をされた。近くは
諸橋先生の漢和辞典もある。もちろん、一人で出来る話ではないだろうが励みになる。私は手仕事で「来日西洋人名事典」。「来韓西洋人名事典」に加えて「来華西洋人名事典」を作った。刊行の暁には
アジアにやってきた西蛮人(パスケ・スミスの命名)一覧が完成する。
勿論、日本の近代化に散った「日本洋学者事典」(柏書房)も出した。これが、皆評判が悪く売行が
はかばかしくない。ニーダム先生さえ売れない世の中である。世間がワルイ!!そう思うこととした。
ガレージせール寸感
2009 / 06 / 15 ( Mon )
ヴォーリス展を観て
2009 / 06 / 15 ( Mon )
汐留のパナソニック館で開催中のヴォーリス展を見にでかけた。JR新橋からでも歩いても行ける場所にあった。思ったとおりで展示会の規模はし小さかったし写真中心でもあり先日の「日曜美術館」で
放送したので大体の様子は想定内でもあった。神戸女学院や関西学院の建造物は想像以上にすばらしい。大学時代の恩師佐藤清先生は関西学院で教えていたが京城帝国大学に招かれの初代英文科主任として指導に当たった。弟子の一人に「蕎麦の花咲く頃」の作者李孝石(イヒョソク)がいる。
かって、彼の生まれ故郷を訪れたことがあったが土地柄は蕎麦かジャガイモくらいしか採れそうもなくみえた。1930年京城帝国大学を卒業したとあるから第一期生か第二期生かも知れぬ。先生の旧蔵書は関西大学図書館に収められた。私は先生についてウイリアム・ブレイクを卒業論文として指導して貰った。今、考えても冷や汗の出る学生時代であった。生意気にもコールリッジの「ザナドウへの道」は読むのに難しいですかなどと馬鹿丸出しの質問をしたりした。先生は「いや、やさしいよ」とサリ気なく答えてくれたが一刀のもとに切り捨てられた。
ところで、ソウルにはヴォーリスが建築設計事務所を設立し名門女子大学の梨花女子大学校など設計したとのこと。わが友新進の陶芸家金徳姫の母校でもある。なかには入らなかったが外からは
拝見したことがある。ヴォーリス設計と知っていれば写真くらいは取ったものをと残念である。
次いでに記るhしておきたいことがある。土曜日に神田にでかけ例のごとく小宮山のガレージせールを覗いていたら何とニーダムの「中国科学史」の1巻2巻と「Cerks and Craftsmen in China and
west」Cambriridge Univ.Press 1970 が目にとび込んできた。いずれもパラフィンがかかった新本同様
である。扉のページに本郷の大山堂のシールが貼ってあるから東大の関係者が手にいれて売ったものであろう。こうして志しを果たすことなく貴重な蔵書を手放す若き学徒も存在することを肝に銘じて残りすくない持ち時間を大切に使いたいものである。
しかし、家でパラパラと目を通してみたが前途多難で憂鬱な気持ちとなった。本の命運もあることながら今さらニーダムとは!!そう云えば学芸大時代からの知人である塚原氏はライデンで学位を取得
したのちケンブリッジで晩年のニーダム先生の身の廻りの世話をしたと聞いた。学生時代から語学が堪能で秀才であった。父上も化学史専攻の研究者であった。たしか、著作もあった。
取り留めもないことを忘れないうちにと書いてみた。
以上