炎のランナーと北京オリンピック
2008 / 03 / 05 ( Wed )
すぐれた編集者であり映画(ミステリー)評論家でもあった故瀬戸川猛資氏の「シネマ古今集」(新書館 1997)は亡くなる二年前に出版された遺著とも云うべき好著である。氏には一度しか会っていない。好感の持てる雑誌編集者などめったにいるものではない。瀬戸川氏はすでに映画評論家として名が知られていたらしいがそんなことはオクビに出さなかった。
恐らく、1883年の夏ごろか?本好きな雑誌「BOOKMAN」編集長(オーナーも兼ねてか)私の職場に来られ「来日西洋人名事典」その後について10枚ほどの原稿を書くようにとの依頼であった。もちろん、私としては異存のあろう筈もなく狭い学生食堂の喫茶コーナーで珈琲いっぱいのもてなしで終わったが今となってはいろいろお話を伺うこともあったのにと後悔している。
大学図書館で働きながら本など書いたものだから珍しがられ取材も多く多少ノボセ気味でもあり恥もかいた。丸善の社内誌「学鐙」といえばえらい学者先生方が執筆されその時々の世評を知る貴重文化財的史料となっている。仕事上で顔なじみの営業マンに是非「学鐙」掲載をお願いした。なかば、脅し気味ではあったが。本庄編集長が突然職場に現れ何かと注文を出してくれた。若くもあり、傲慢さも
ある国家公務員でもあり応対に手落ちもあったようである。
もちろん、本庄先生は顔色も変えることなく出来上がりの原稿に手直しを命じられ掲載を許してくれた。あとで、有名なフランス文学研究者でもあり一時期直木賞作家にも疑せられたと伺い何とも恥入ったものである。
そんなことより瀬戸川氏の映画評論に刺激され「炎のランナー」がオリンピック優勝間違いない種目に宗教上の新年から欠場しイギリス中の人々から非難され翌日の苦手400メートルで優勝したという
モデルが宣教師として中国に赴任、若死にしたニュースが母国に伝えられるやサッカー場を埋めつくした観衆が一斉に立ち上がり黙祷を捧げたという。
たまたま、今編纂中の「近代来華・来韓西洋人名事典」にその宣教師の名を見出し原稿にしたばかりであった。映画は古いがビデオやCDでも見ることが可能である。
瀬戸川氏を偲びビデオで再確認して今年8月開催予定のオリンピック北京大会に備えようと思う。