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ソウルで発刊された英字新聞のこと

 最近、発行された鄭晋錫著李相哲訳「大韓帝国の新聞を巡る日英紛争」(晃洋書房)を読んだ。多少金額ははったが是非手に入れたいものだと狙った獲物で目に狂いはなかった。「ガイドブック外人墓地へようこそ江戸・東京篇」の編集は終わったが出版はまだ先のことである。
 せっかくだから青山外人墓地ほかに眠る欧米人のほかソウル漢河(ハンガン)北岸の楊花津の外人墓地の埋葬者も付け加えてみた。
 鄭先生の近著はこの墓地に眠るベセル(Bethell,Ernest Thomas 1872−1909)の研究書である。ベセルは朝鮮における日本政府の横暴ぶりを彼が創刊した「KDN Korean Daily News]や「大韓毎日申報」において鋭く追及した。日本総督府の手によりわが国を誹謗した罪で新聞の廃刊と国外追放の訴えをうけた。裁判の結果、禁固三ヵ年の判決で上海で服役、釈放後ソウルに帰り相変わらずの元気ぶりを発揮したが1909年5月1日ソウルで病没した。まだ35才という若さであった。
(ソウル外人墓地SectionAno.11)
 ベセルと共に新聞を発行したコーエン(Cowen,Thomas Clark 1869−1906)は新聞社の経営を巡りベセルと対立し日本に渡り1906年5月2日東京赤坂病院で歿した。36才という若さであった。青山外人墓地南2種12側14番に埋葬されたが現在では墓碑も判然しない。
 反日キャンペーンのアメリカ人ジャーナリストハルバート(Hulbert, Homer B.1863−1949)もソウル外人墓地SectionB9−10)に眠っている。ベセルとハルバートは日本統治下において命がけで朝鮮国のため自己を貫いたして敬愛されている。ベセルと同じ墓域にはわあが国の「御雇い外国人」として有名なドイツ人音楽家フランツ・エッケルトが眠る。彼は李朝国妃のための作曲をしたことと音楽教育で功績があったとして韓国でも著名は音楽家である。「君が代」は彼の編曲である。
 来日西洋人・外人墓地の調査研究から日本だけでなく朝鮮・中国をふくめたアジア全般にその対象を深めようとして「来韓・来華西洋人名辞典」の編纂をここ二、三年つとめているが結構大変な仕事となった。少し大風呂敷をひろげすぎたかなとも反省しきりの昨今である。どうせ、名も金も残る訳でもないしやるだけやようと覚悟だけは決めてはいる。



 
14 : 58 : 33 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

資料整理の一ヒント

 写真整理の無料ソフト「google picasa」を使い、けねて撮りためてきた外人墓地の写真をパソコンに取り入れてみた。取り敢えず曽山外人墓地の50名ほどだがアッと云うまに名前順にキレイに並べけられインデックスまで付いている。驚くべき技術進歩である。
 国立大学図書館で1961年から35年間働き、退職前の数年間は電算機のお世話にもなった。「フォートラン」や「コボル」の講習会やMSーDOSの習得にも脳ミソを浪費しサルにもできるパソコン操作が
出来ず何晩眠れぬ夜を過ごしたことか。東京大学情報学センターに半年通い石井威望先生からそのうち画面を触るだけでパソコンが操作できるから余り無理をする必要がないと慰めにもならぬ講義を拝聴した。今を時めく坂村健先生がまだ助手であった。その頃若き坂村先生は「トロン」制作に格闘していたのだろう。当時の教科書を見るに何と幼稚な記述に振りまわされていたかが判然する。ブックオフで山ほど積まれているコンピュータ関係の本で今使用に耐えるものいかほどあろうか!一流?の先生方が一生懸命書いた本も哀れな末路を迎えている。
 インターネットと称するものがアメリカで普及し始めたというニュースが伝わり東京大学農学部で試験的に採り入れられたらしいと仄聞した。それより以前に国際キリスト教大学の研究室がそのまま筑波大学に移り何とか先生がヤタラにマスコミに登場していた。虎qの門の国立教育会館で開催されていた会で科学史のN先生もまだコンピュータをご存知なかった。なにしろ国際会議れべるの研究会のコーヒ−・ブレイクには有名な先生方が家庭用電話機ぐらいの携帯電話でやたらに電話していた。それもソファーに足を投げ出した。「007」の主人公も似たような電話機を使っていたと記憶している。今あれば中。高校生たちが大喜びしそうな話ではある。
 インターネットといい、ブログといい年寄りでも出来る。サルに劣等感を持つ必要がなくなった。相変わらずマニュアルや解説本はむずかしいことばだらけではあるが。これも10年さきの子供たちの嘲笑の対象になるのかとイササカ的はずれの年寄りのヒヤ水であるが。 
09 : 11 : 56 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

東京の外人墓地書誌


 最近、懸案であった東京に眠る外国人(西洋人)たちに関してまとめてみたが(未刊)その際気づいた参考文献を取り敢えず紹介した。関心を持たれる方に少しでも参考になれば幸いです。

 東京における外人墓地関係文献(2008年7月作成)

 築地居留地(川崎房五郎編著)東京都 昭和32(都市紀要4)
 在京外人教師の墓地巡礼(手塚竜麿):英語と英文学(研究社月報)昭和38・1〜12 *「日本近  化の先駆者たち」(吾妻書房 昭和43)に再録
 物故院長・学長功労者の墓所を訪ねて(松田重夫):青山学報53 昭和41・6
 続・物故院長・学長功労者の墓所を訪ねて(松田重夫):青山学報54 昭和41・12
 英学史の周辺(手塚竜麿)吾妻書房 昭和43
 わが国衛生工学の恩人K・W・バルトンのことーー明治水道史余聞(武内博):公衆衛生35・
  11 昭和48・11
 グリーン博士の墓(手塚竜麿):同志社時報46 昭和47・6 *「日本近代化の先駆者たち」
  (吾妻書房 昭和50)に再録
 宣教師グリーンとの奇縁(小川鼎三):図書375 昭和47・7
 日本近代化の先駆者たち(手塚竜麿 吾妻書房 昭和50
 麻布光林寺と外人墓地(武内博):英語青年122・19 昭和52・1
 紅毛掃苔録落ち穂拾い(武内博):学鐙75・11 昭和53・11
 青山外人墓地に眠るアメリカ人医師ハーツホン博士(武内博):日本古書通信434 昭和55・6
 青山霊園(田中燦)郷学舎 昭和56
 来日西洋人名事典(武内博編著)日外アソシーツ 昭和58
 東京の外人墓地(手塚竜麿):明治村通信156 昭和58・6
 東京の外人墓地ー続き(手塚竜麿)明治村通信162 昭和58・12
 来日西洋人の墓を訪ねて(武内博):BOOKMAN5 昭和58・7
 多摩地区に眠る外国人ーー近代化の恩人たちを訪ねて1〜3(武内博):こだいら2〜4 昭和59
 来日西洋人の足跡伝えるーー資料探り墓地四千人の略歴つかむ(武内博):日本経済新聞(文化  欄)昭和60・12・17
 青山霊園道しるべ(中村好子)昭和60
 Aoyama Epitaphs1-6(John Krummmel):Japa Times 昭和63・7・1〜8・5
 青山の墓銘碑1〜6(ジャン・クランメル/気賀健生訳):日本歴史494−499 平成1・7〜12
 American Professor Finds Mission in AOYAMA'Gaijin'Graves Get Cleaned Up(John Krummel)
Asahi Evening News 平成1・8・8 
 多摩霊園(村越知世著)東京都公園協会 平成6
 青山霊園(田中燦然・小林安茂編著)東京都公園協会 平成6
 来日西洋人名事典増補改訂版(武内博編著)日外アソシーツ 平成7
 来日メソジスト宣教師事典(ジャン・W・クランメル編)教文館 平成8
 青山霊園の中の外人墓地ーー近代日本の先駆者を育て眠る(中村好子):築地居留地2 世紀
  書房 平成14・8
 来日外国人建築家事典(堀勇良):日本の美術8 平成14・8
 近代西洋の光ーー来日西洋人と日本洋学者群像(武内博著)日本古書通信社 平成19

                                         以上


  まだまだ目の届かぬすぐれた文献もあるやも知れず書誌作りの力不足と悲哀を味わっております。  
 

09 : 25 : 05 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

執筆一覧


 今まで書いてきた拙文をまとめてみました。

  タイトル                          執筆年        発表誌など

 我が国衛生工学の恩人W・K・バルトンのことー   1971・11      公衆衛生(35・1)
 麻布光林寺と外人墓地                  1977・1       英語青年(122・10)
 紅毛掃苔録落穂拾い                   1978・11      学鐙(75・11)
 三人のクラーク                       1973・7       英語青年(125・4)
 青山外人墓地に眠るアメリカ人医師ハーツホン博士 1981・9       日本古書通信(626)
 来日西洋人名事典                     1983        日外アソシエーッ
 来日西洋人の墓を訪ねて―その始末録        1983・7       Bookman(5)
 多磨地区に眠る外国人ー日本近代化の恩人たちの 
  墓を訪ねて1〜3                     1984         こだいら(2〜4)
 「海外新話」の著者嶺田楓江と英人閣斌士       1985・2      日本古書通信(667)
 日本造幣史上の恩人たち                 1985・6      PINUS(15)
 日本鉄道創設期に活躍した来日西洋人ーー鉄道技師
  E・モレルとH・レイを中心にーー             1985・11     同上(16)
 来日西洋人の足跡伝えたーー資料探り墓地を訪ね
  四千人の略歴をつかむ                  1985・12・17  日本経済新聞朝刊
 アーネスト・サトウと「英和口語辞典」をめぐる人々   1985        「サトウ英和口語辞典
                                               第三版開設
 ガイドブック横浜外人墓地ーー山手の丘に眠る人々  1985        山桃舎
 蝦夷地方を踏査した来日外国人技師ーーB・S・ライマン
  の先駆者たち                       1986・1      「高校通信・地学」258)
 横浜山手に眠る紅毛愛蝶家たちーーH・プライアーを
  中心に                           1986・9       日本古書通信(686)
 サトウ「英和口語辞典」の編纂協力者石橋政方のこと 
  1〜3                            1988・1〜3    名著サプリメント(1〜3) 文明開化の伝道者カッケンボス              1988・4       日本古書通信(705)
 来日西洋人の日本コレクション上・下           1990・11〜12  同 (736〜737)
 日本の近代化をになった外国人ーーM・M・スコット  1993         ぎょうせい
 日本洋学人名事典                     1994         柏書房
 来日西洋人名事典増補改訂版              1995         日外アソシエーッ
 甲州の蘭学者大久保黄斎のこと             1996・4       日本古書通信(789)
 「事実文編」の編者五弓久文と彼の情報活動      1997・1       同(801)
 歌人牧水の祖父種痘医若山健海のこと         1998・1       同(833)
 高野長英と吾妻蘭学                     2000・5      同(850)
 日本の近代を築いたお雇い外国人たち          2001・6      別冊歴史読本(26・
  16)
 探墓三十年 人との出会い・本との出会い        2006・8      日本古書通信(925)
 近代西洋の光ーー来日西洋人と日本洋学者群像    2007        日本古書通信社      
 
10 : 38 : 28 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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プロフィール

Author:武内 博
武内 博(たけうち ひろし)
1933年千葉県木更津生まれ
青山学院大学英米文学科卒業後、文部省図書館職員養成所に学ぶ
名古屋大学法学部図書室、東京学芸大学附属図書館勤務
この間来日西洋人、外人墓地の調査研究を続け今日にいたる。
 主な著作:
 ガイドブック横浜外人墓地ーー山手の丘に眠る人々
  山桃舎 1985
 日本洋学者人名事典 柏書房 1995
 来日西洋人名事典 増補改訂版 日外アソシエーツ
  1995
 西洋近代の光ーー来日西洋人と日本洋学者群像
  日本古書通信社 2007

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