ソウル市内を流れる漢河(ハンガン)沿い楊花津(麻浦区合井洞
145−9)に外国人専用墓地が設立されたのは1890年7月のことで我が国の明治23年に当る。この年の4月には明治政府雇いであったル・ジャンドル(李仙得 Le Gendre,Charles William 1830−
1899)が朝鮮政府外交顧問として招聘され、6月4日には太后妃が薨去した。(H・N・アレン著「朝鮮近代外交史年表」64ページ)
墓地の設立に際してはアメリカ人宣教師N・H・アレン(Allen, Ho-
race Newton 1858-1832)の働きが大きい。アレンはアメリカ長老派教会医療宣教師で1883年来韓し、景徳宮のなかに西洋式病院広恵院病院を開設した。次第に評判となり王宮への出入りが可能となった。
その後、外交官に転じ朝鮮駐在アメリカ公使に昇進した。反日家として辣腕を振るった。一方、朝鮮文化研究にもすぐれ機関紙「Korean
Repository」を刊行したほか著作も多い。前述の年表は研究書の一部として発表されたものである。さいわい、機関紙は覆刻され国立国会図書館に架蔵され著作物も大半が利用可能である。かって二階にあった東洋部門が関西に移されたのではっきり判らない。東京でもアジア関係史料が必要である筈だが同じ史料を収集しない方針だとか。情けない話では
ある。
埋葬第一号はソウル駐在アメリカ領事秘書官をつとめたJ・W・へロン
(Heron, John W・1856−1890)で1890年7月26日死去した。行年34才。真夏のことでもあり従来の埋葬地仁川外人墓地への搬送が困難であった。アレンらの必死の懇請により朝鮮政府もようやく申し出を受け入れ楊花津に新規の外人埋葬地が用意された。
明治政府雇いの「君が代」をオーケストラ用に編曲したドイツ人音楽家フランツ・エッケルト(Eckert,Franz von 1852-1916)や外交顧問であったル・ジャンドル(Le Gendre, Charles William 1830−
1916)および横浜総領事C・G・グレイトハウス(Greathouse,
Clarence Ridgley 1846−1899)が眠っている。
エッケルトは日本ではすっかり忘れ去られた感じがするが韓国では今もって人気があり「大韓帝国愛国歌」の作曲家として有名で1987年ドイツのテレビ局による「韓国に住んだドイツ人」として放映され話題となった。
ソウル外人墓地についてインタータネットでかなり詳細に、たとえば沿革や埋葬者一覧などが閲覧できるがやはり霊園事務所で頒布している「
The Seoul Foreigner's Cemetery at Yanghwijin:an informal history,comp.and ed.by Donald N.Clark. Seoul Union Church, 1998 が便利である。エッケルトをはじめとする埋葬者の写真も逐次掲載する予定である。函館、横浜山手、根岸、青山外人墓地、多磨・雑司が谷、府中カトリック墓地、大阪服部霊園、神戸外人墓地、長崎の各外人墓地など撮りためたスライドやネガフィルムを整理したいと念願している今日この頃である。
来韓西洋人による著作物が20余冊のシリーズで出版されており、大半が英訳本でも読むことができる。さらに、朝鮮関係文献の壮大な覆刻版が刊行されているが残念ながら分売不可とのことでコルニエの書誌など手を拱いている。
「来日西洋人名事典」にひきづき「来韓・来華西洋人名事典」の編纂を終了した。近著「近代西洋の光 来日西洋人と日本洋学者群像」の刊行をまって次ぎの仕事にとりかかろうと精気を蓄えつつある今日この頃である。