青山外人墓地とクランメル先生

 「西洋近代の光」を日本古書通信社から出版したが、真っ先に報告しようと思っていた二人の先生を失った。元福岡教育大学附属図書館長の平田宗史博士と青山学院大学で永く教鞭をとられたジャン・クランメル先生である。平田先生にはわが国師範教育の恩人M・M・スコット研究の第一人者で東京虎ノ門にある国立教育会館で開催した「日本の近代化
をになった外国人」に講師として招聘予定であったが旅費捻出が困難であるとして急遽私に「スコット」を担当すべしとの大命が下った。
 生まれてはじめて飛行機に乗りハワイに飛びハワイ大学、オアフ墓地、ストラウブ病院などスコットゆかりの地を訪ね取材した想い出がある。一週間を予定してが有能なハワイ大学図書館員の指示により二、三日ですべて終了、あとは連れて行った末娘の買い物に同行。楽しいハワイでの数日を送った。その後も平田先生には何かとスコット先生についてご教示願い、その一部を「スコットの出自と来日の経緯」は「西洋近代の光」に採録した。先生には「エム・エム・スコットの研究」(風間書房 平成7)という大著がある。
今度の本を出そうとしたキッカケは都内にある来日西洋人たちの墓が管理料未納のため撤去されるという行政の強引なやり方に危機感をいだいたことから始まった。すでに、雑司が谷のペンロッド先生の墓前にもそういう立て札が建てられていて憤然としていたのだがかねてこうしたことに関心のあった氏から青山外人墓地が大変だと写真を添えて危機を訴える手紙が届いた。次いで、電話があり何とか音頭を取って貰えないかとのことであttが紅旗青戎わがことにあらずとお断りした。が、文章による抗議は可能ではないかと手に負えなくなった雑書類を古書通信の樽見さんにお願いして引き取って貰い印刷費などを捻出して本書出版の至りとなった。命がけの出版だと、勿論冗談のつもりで手紙したところ驚いたことに「貧者の一灯」だと金一封が届いた。ペンロッド先生の際にM氏から神さま呼ばわりをされるし、今度は仏さま扱いである。世の中には想像できないほどのマジメな人たちが多いと大いに反省してる。
 クランメル先生は24才で来日、いったん帰国したりされたが通算40数年にわたり青山学院でキリスト教布教のかたわら英語などを教授された。青山外人墓地の荒廃ぶりを憂い周囲にその存続を訴えた。来日したメソジスト系宣教師の研究にも専念され大著「来日メソジスト宣教師事典」を教文館から刊行された。帰国が間近に迫っていた頃かも知れないが出版社がなかなか仕事をしないと嘆いておられた。大学の紀要などに発表された論文の抜き刷りなども大半は頂戴した。多くのものにメッセ−ジと署名が添えられていた。事典も頂きたいへん重宝している。
 日本に永住されるものとばかり思いこんでいたのでお別れの挨拶もしなっかた。アッシュビルからクリスマス・カードが届き驚いた次第。やはり、宣教師の停年後の生活は母国の方が快適であったろうか。
 拙著「来日西洋人名事典」を差し上げたところもっとハンデイな案内書をつくるべきだとのアドヴァイスもいただいた。昨年、3月30日ノースカロライナ州アッシュビルで73才で帰天されたとのこと。生前、愛され青山外人墓地に分骨された。横浜成美学園のハジス先生と同じ内外協力会の墓地だと聞いて場所はすぐ判った。墓前に献花しご無沙汰を詫びた。クリスマス・カードを頂戴しながら返事も出さず、今度の本が出来たら先生に青山外人墓地の記事の転載の許可をお願いしょうと考えながら機会を逸した。青山学院の印刷物には分骨式の紹介が掲載されていた。何も知ることなく過ごしていた自分の怠慢が恥かしい。
 今春、最終校正でカール・ブリュック、トルー夫人、セメンズ先生らの碑文の確認にしばらくぶりに青山霊園に足を運んだが、(立て札の林立する外人墓地など見るに忍びない。)、何と意外にも赤煉瓦の塀がつくらられ記念もモニュメントまで建てられているではないか!狐にでも化かされたのではないかと呆然として立ちすくんだものであった。クランメル先生、これでよかったのでしょうか?手塚先生はどう思いますかとかってお世話になった先生方に訊えながら梅窓院へつづく坂道を下った。テニス・コートを右手に見、左手にはグリーン先生夫妻が眠る墓碑が建っていた。それも今は整地され、ご夫妻はゆかりの京都若王子の同志社墓地へ移された。
 梅窓院近辺も随分変わった。かって、江戸時代以来の名刹の面影を残していた梅窓院には竹内玄同先生の墓がありたびたび足を運んだものだった。境内には近代的な高層ビルと建ちまるで商社かIT関連会社かと見まがうばかりである。
 「西洋近代の光」は本来「配り本」のつもりで出したもので販売を目的としたものではない。一部、費用軽減のため出版社が引き受けてくれ頒布するが大半は手元に置いてある。大学図書館や公立図書館などにはいっさい寄贈はしていない。個人的に親しい人にだけしか渡していない。
 今まで外人墓地を冷遇した諸機関には当然ながらいい感じを持ち合わせていない。各霊園事務所も同然である。
 「西洋近代の光」には都内に眠る西洋人の大半を収録してあり「来日西洋人名事典」と共用すれば日本近代化を人物の上から辿ることができる。出版社さえ見つかれば日本全国に眠る西洋人について詳細に記載できるのだが残念である。一部、このサイトから閲覧可能であるので関心のある方はご覧ください。
 なお、「西洋近代の光」のご注文は日本古書通信社(03−3292−0508)へどうぞ。部数に制限あり!!とくに、カネとヒマのある団塊族の皆さん晴雨に限らず都内の墓探しは趣味と実益を兼ねて最高です。多磨霊園などは公園墓地で誰でも出入りは自由。池袋や渋谷など繁華街が近い霊園にはブルーシーツの人たちが住みついている場合がある。お互い危害を加えることをしなければ問題はない。ウオーキングなどと意識せずに結構運動になります!疲れたら近くのしゃれたレストランでおいしいものを食べ昔風の喫茶店で香りのたかいコーヒーで疲れをとり帰りには神田辺りの古書店をブラつく。東京には楽しい散歩コースが溢れています。今から老けこむこと必要はないと思うがいかがでしょう?
 
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プロフィール

Author:武内 博
武内 博(たけうち ひろし)
1933年千葉県木更津生まれ
青山学院大学英米文学科卒業後、文部省図書館職員養成所に学ぶ
名古屋大学法学部図書室、東京学芸大学附属図書館勤務
この間来日西洋人、外人墓地の調査研究を続け今日にいたる。
 主な著作:
 ガイドブック横浜外人墓地ーー山手の丘に眠る人々
  山桃舎 1985
 日本洋学者人名事典 柏書房 1995
 来日西洋人名事典 増補改訂版 日外アソシエーツ
  1995
 西洋近代の光ーー来日西洋人と日本洋学者群像
  日本古書通信社 2007

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