何故外人墓地か?

                             
                                                2008・5・24
  今何故「外人墓地」か?
   外人墓地に足を運ぶようになってからほぼ半世紀になる。田舎から東京に出てまず向かったのは神田の古書店街であった。しかも、JR神田駅で降りて周囲を見回しても本屋らしき風景がない。
当然のことながら下車する駅はお茶の水でなければならなかったのだ。そんなことすら知らぬ田舎学生であった。
 学校の最寄駅は渋谷、駅前はバラックが建ち並ぶ闇や街であった。昭和28年東京はまだ戦後であった。高校の同級生で同じ大学にきていた友人がハラが減ったと云うので銀座のどこか進駐軍の残飯をドラム缶で料理していた屋台に出かけたことがある。彼は下宿で一人住まいであった。水道橋の駅前では金に困った学生たち血を売っていた。なかには血がうすく黄色ばんでいたと噂された。
 横浜の親戚から通学し家からの送金でアルバイトもせずにのんきな学生生活を送り暇があるとミナト横浜の異国情緒に接しようと山下公園や山手の付近をブラついた。元町から外人墓地への薄暗い坂道を何度となく上がったり下がったりしたものである。
 
13 : 53 : 47 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<rainichi | ホーム | 炎のランナーと北京オリンピック>>
コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://rainichi20072.blog106.fc2.com/tb.php/21-f4d67a56
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |

プロフィール

Author:武内 博
武内 博(たけうち ひろし)
1933年千葉県木更津生まれ
青山学院大学英米文学科卒業後、文部省図書館職員養成所に学ぶ
名古屋大学法学部図書室、東京学芸大学附属図書館勤務
この間来日西洋人、外人墓地の調査研究を続け今日にいたる。
 主な著作:
 ガイドブック横浜外人墓地ーー山手の丘に眠る人々
  山桃舎 1985
 日本洋学者人名事典 柏書房 1995
 来日西洋人名事典 増補改訂版 日外アソシエーツ
  1995
 西洋近代の光ーー来日西洋人と日本洋学者群像
  日本古書通信社 2007

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ