先日、久しぶりに府中のカトリック墓地と多磨(多摩地区のタマとは字が違う。)霊園のいわゆる外人墓地を訪れた。府中駅から小金井行きのバス(1番乗り場)で墓地まで10分もかからないがウッカリすると見落とすときがある。第6小学校を目指し、その手前に十字架の墓碑が車窓から見えてくる。パリ外国宣教会のフロージャック神父がこの地を選んだそうだが当初は東京から不便だとか棺雇用が悪いとか散々な評判だったそうな。今では静かな住宅街にもったいないほどの広さを持つ立派な霊園となった。
職場が近いこともあり多磨霊園と府中カトリック墓地(両方共に府中市に帰属。)昼休みなど自転車で出かけたものである。当時のカトリック墓地は事務所も簡素な建物であったがパリ外国宣教会の神父たちの墓碑が林立して壮観であった。それに加えてラゲ神父ほかの大きな墓碑が横たわっていた。以前、何年ぶりかで墓参にでかけたところ何度度もかって墓碑のあった辺りを探しても見当たらず
事務所の人にきいたところ合祀されているとのことであった。イエズス会の墓地は以前から一箇所にもとめられてあったが。
ゼノ神父は富士山の麓の墓地に埋葬されたきたが府中のコンヴェンツアル聖フランシスコ会の墓地に眠っている。「ゼノ死ぬひまない」と戦争孤児たちの面倒を見つづけたゼノさんも修道士でありながら神父を名乗っていると大分非難もされという。1981年来日した母国ポーランド出身のローマ法王ヨハネ・パウロ2世に謁見を許された翌年90才で帰天した。
カトリック墓地正門を右に折れバス通りをそのまま進めば10分ほどで多磨霊園の24区に通ずる入り口の到着する。そこから拾い霊園を横切り霊園事務所まで行き、休憩所、ドーム形の「みたま堂」の先に外人墓地がある。ライシャーワー駐日大使の令兄ロバート、巨人軍投手スタルヒン、多くの宣教師たち、音楽家と多彩な来日西洋人がっている。
正門を出て事務所と反対側の道路を挟みインド独立運動提唱者ビハリ・ボースの壮麗な墓がある。
もう一人のチャンドラ・ボースほどの知名度はないが相当な人物であったらしく右翼の大立者の頭山満らの庇護のもとに母国の独立運動をつづけた。この霊園にはゾルゲ事件の本人リヒアル土。ゾルゲや尾崎秀樹らも眠っている。
掃苔とは死者と生者の対話だと思っている。彼らを理解することなしに掃苔は成り立たたない。埋葬者を手掛りに歴史をさかのぼることができる。
以上