汐留のパナソニック館で開催中のヴォーリス展を見にでかけた。JR新橋からでも歩いても行ける場所にあった。思ったとおりで展示会の規模はし小さかったし写真中心でもあり先日の「日曜美術館」で
放送したので大体の様子は想定内でもあった。神戸女学院や関西学院の建造物は想像以上にすばらしい。大学時代の恩師佐藤清先生は関西学院で教えていたが京城帝国大学に招かれの初代英文科主任として指導に当たった。弟子の一人に「蕎麦の花咲く頃」の作者李孝石(イヒョソク)がいる。
かって、彼の生まれ故郷を訪れたことがあったが土地柄は蕎麦かジャガイモくらいしか採れそうもなくみえた。1930年京城帝国大学を卒業したとあるから第一期生か第二期生かも知れぬ。先生の旧蔵書は関西大学図書館に収められた。私は先生についてウイリアム・ブレイクを卒業論文として指導して貰った。今、考えても冷や汗の出る学生時代であった。生意気にもコールリッジの「ザナドウへの道」は読むのに難しいですかなどと馬鹿丸出しの質問をしたりした。先生は「いや、やさしいよ」とサリ気なく答えてくれたが一刀のもとに切り捨てられた。
ところで、ソウルにはヴォーリスが建築設計事務所を設立し名門女子大学の梨花女子大学校など設計したとのこと。わが友新進の陶芸家金徳姫の母校でもある。なかには入らなかったが外からは
拝見したことがある。ヴォーリス設計と知っていれば写真くらいは取ったものをと残念である。
次いでに記るhしておきたいことがある。土曜日に神田にでかけ例のごとく小宮山のガレージせールを覗いていたら何とニーダムの「中国科学史」の1巻2巻と「Cerks and Craftsmen in China and
west」Cambriridge Univ.Press 1970 が目にとび込んできた。いずれもパラフィンがかかった新本同様
である。扉のページに本郷の大山堂のシールが貼ってあるから東大の関係者が手にいれて売ったものであろう。こうして志しを果たすことなく貴重な蔵書を手放す若き学徒も存在することを肝に銘じて残りすくない持ち時間を大切に使いたいものである。
しかし、家でパラパラと目を通してみたが前途多難で憂鬱な気持ちとなった。本の命運もあることながら今さらニーダムとは!!そう云えば学芸大時代からの知人である塚原氏はライデンで学位を取得
したのちケンブリッジで晩年のニーダム先生の身の廻りの世話をしたと聞いた。学生時代から語学が堪能で秀才であった。父上も化学史専攻の研究者であった。たしか、著作もあった。
取り留めもないことを忘れないうちにと書いてみた。
以上